石毛呉服店の歴史

石毛呉服店は明治16年「陶器商」としてスタートしました。

【営業鑑札由来】

当営業鑑札は、初代石毛豊兵衛が笹川村鹿之戸より銚子に出て「たげん太物商」に奉公し、年明けてその前に店を出す際、主家と同業では申し訳ないとし、はじめ陶器商営業の営業を開始したとき、旧本銚子町役場より交付されたものである(明治十六年西暦1883年)。その後、時代は変われど大切に保管されてきた品であるが、昭和20年7月19日の空襲により店舗焼失の際も保存され、昭和20年8月15日の終戦後、物が不足する中、俎(まないた)に利用されたため現在多くの刃物痕が残っているが、創業の記念品として家宝同様に大切に保管するものである。

 

【附記】

その後、「たげん太物商」が古着商に転業した際に現在の呉服商に業種転換したものである。

(明治二十年西暦1887年頃と思われる)

 

三代目 石毛豊兵衛 記


明治16年(1883年)といっても昔というイメージが強いのでどんな年かを調べてみた。

  • 「鹿鳴館」落成。嘉納治五郎、柔道場を開く(講道館)の前身。
  • 天璋院(篤姫)死没, 明治16年(1883年)11月20日(満47歳没)

 

なんと「鹿鳴館」も「篤姫」も歴史の授業で習った出来事。

 

結構永く続いているものだと他人事のように感心もする。

 こんなことを具体的に知ってしまうと、改めて責任も感じ、ますます頑張らねばという新たな決意も生まれてくる。

 

4代目社長 石毛和男


「昭和8年頃の観音前通り仁王門」

当店は坂東三十三観音霊場二十七番札所飯沼観音のすぐ前にあり、電柱の「吉野家」(もちろん牛丼屋さんではありません。)「エビスビール」の向こうに右から書き始まる「~呉服店」の看板が見える。

江戸時代、明治時代を通じて利根川を上り江戸に醤油をはじめ、魚などの物資を運ぶ水運の一大拠点であった。その時代は千葉県一の大きな町であった。

・現在の観音前の仁王門(赤くライトアップされている)

どんな昔の写真を見てもそうだが、昔は道でも建物でも小さく見える、感じる。